日報社:東京■囸新聞
箱番号+整理番号
PP291-018
発行主・広告主
(日報社)
旧蔵者
萬年社
内容
国内明治期新聞
内容日付/文字情報/備考
1872/02/21
「官許」の朱印あり
官許
東京■囸新聞
明治五年壬申二月二十一日第一号
西洋千八百七十二年三月二十九日
寒暖計正午五十二度
金曜日
・官書公報
之迄築地運上■に於て外国人関係之訴訟東京府官■取扱来■処今般改て東京開市場裁判■と称し司法省官■出張同■事務取締■条此段相違■事
壬申二月
去巳年中各地方官へ預け相成■異宗徒■中海悟致し■者は■赦免相成■条管下民籍へ編入又は本籍へ復帰■本人之望に任せ厚く世話可致事
但活計■相立者は窮民救助の規則に準し見込て趣詳細取調大蔵省へ可申出■事
壬申二月
旧来郷土と称し家筋由緒有之■者は士族へ入籍可■仰月■条取調書を以大蔵省へ可伺出事
壬申二月
○江湖叢諓
信州今井村に農夫字兵工と云る者あり其家極めて貧により人の為に傭はれて田を鋤畑を打聊の賃を得て其日の畑を立たりしに一朝病に■て立■■はず病牀に在こと三年の久きに及べり其妻阿仙貞にして且美麗なり■く夫に事へて其病中の尽力困苦傍人をして感■せしむるに至れり時に東京の容僧慶山と伝る者の此地を過るあり仙女是を家に迎へて夫の為に疾を■らん事を乞ふ慶山仙女が十二分の姿色あるを見て窮に其牀に赴き是を挑むと雖も仙女敢て従はず慶山なほ情慾を禁する■■はず其翌夕又迨るに白及を以てし強て奸淫せんとす仙女従容■ます却て是を誡諭せり慶山且■且憒りを竟に仙女を斬害して逃奔せり時は壬申首春の事なり縣官令して慶山を捕縛し■問して獄中に撃しとん
甚矣慶山之節婦を毒する也。此不逞少年為忍不牙而緇衣持戒之徒之為何也食色は性也強き之仰即ち溢出於奸亦何ぞ怪■足■■慶山之悪瞿曇之開矣而瞿曇亦禍の於節婦及知不也
○米国■湖より朋友に送る
書簡の抜粋
■湖之略図
御使節一行去十二月二十二日■港を発し途中大雪同月二十六日つ■ると、レイキシテイベ淹留今日まで未だ発程■相成一同退屈併何れも無恙■同■省■一■■尤も数日の内には積雪相■け可申し之■夙に■座■○右していは峝湖辺の一■境にて土地頗る繁■居民一同モルモン宗を尊崇し市中に大伽藍有之此宗派は一夫数妻を娶り■事を免し開宗之導師ヨング、と申者は現存の人なり十六人の婦人を擁し居■由依て市中一夫一婦之家は■て無之生輩の宿し居■ホテルの主人も三婦を擁し居■趣実に未曽■■宗派にて始め此宗徒にうよるくより放逐され此地に来りて草業を開き■字を営み漸く市府をなし追々繁盛にいたり此節■盛頓より官吏て置て管轄せり各国人も■く見物に来り■程のよれ開化文明自由の權を講する共和■那の如き如此邪宗あるは疑はれき■にて■○桑港よち当地迄の途中積雪五六尺巳上の山谷を経過し当地七四方■山嶽何れも雪を頂き■得共寒威は概子■地と相適し■程して四十度寒暖表内外に有■■
○
神田亢久右エ門町和泉屋と■る酒屋本月十六日開店の由にて五十駄樽の鏡を■て施行致せしに道路に醉人多くよこたはりたる由
評者日人力車ひき等は偶々和泉屋の仁にあふて愉快を極めるに至れど妻子は暗に空腹を抱くもをかし■謂墓恭りして孑孑をに■し殺せし類ひならんか仁過れば却て禍あるとは是等ならん
○
赤坂桐畑より日枝の神社へ舟渡し本月十七日より發行二十りたり
定価一枚 百四十文
一ヶ月分 銀二十目
右前金受取■約定仕■上は日々發■次第本局より■届可申■且又遠方取次費弘望■方は本局■■引合可復下候
店開新規費出ほの引札又は諸■■■の報告其他不依何事出板望の事件は
一行一慶出板一匁■
同十日分は五匁 にて引受申■
本局 浅草■町一丁目 日報社
仝 村松町■■地東側 出張会社
東京■囸新聞
明治五年壬申二月二十一日第一号
西洋千八百七十二年三月二十九日
寒暖計正午五十二度
金曜日
・官書公報
之迄築地運上■に於て外国人関係之訴訟東京府官■取扱来■処今般改て東京開市場裁判■と称し司法省官■出張同■事務取締■条此段相違■事
壬申二月
去巳年中各地方官へ預け相成■異宗徒■中海悟致し■者は■赦免相成■条管下民籍へ編入又は本籍へ復帰■本人之望に任せ厚く世話可致事
但活計■相立者は窮民救助の規則に準し見込て趣詳細取調大蔵省へ可申出■事
壬申二月
旧来郷土と称し家筋由緒有之■者は士族へ入籍可■仰月■条取調書を以大蔵省へ可伺出事
壬申二月
○江湖叢諓
信州今井村に農夫字兵工と云る者あり其家極めて貧により人の為に傭はれて田を鋤畑を打聊の賃を得て其日の畑を立たりしに一朝病に■て立■■はず病牀に在こと三年の久きに及べり其妻阿仙貞にして且美麗なり■く夫に事へて其病中の尽力困苦傍人をして感■せしむるに至れり時に東京の容僧慶山と伝る者の此地を過るあり仙女是を家に迎へて夫の為に疾を■らん事を乞ふ慶山仙女が十二分の姿色あるを見て窮に其牀に赴き是を挑むと雖も仙女敢て従はず慶山なほ情慾を禁する■■はず其翌夕又迨るに白及を以てし強て奸淫せんとす仙女従容■ます却て是を誡諭せり慶山且■且憒りを竟に仙女を斬害して逃奔せり時は壬申首春の事なり縣官令して慶山を捕縛し■問して獄中に撃しとん
甚矣慶山之節婦を毒する也。此不逞少年為忍不牙而緇衣持戒之徒之為何也食色は性也強き之仰即ち溢出於奸亦何ぞ怪■足■■慶山之悪瞿曇之開矣而瞿曇亦禍の於節婦及知不也
○米国■湖より朋友に送る
書簡の抜粋
■湖之略図
御使節一行去十二月二十二日■港を発し途中大雪同月二十六日つ■ると、レイキシテイベ淹留今日まで未だ発程■相成一同退屈併何れも無恙■同■省■一■■尤も数日の内には積雪相■け可申し之■夙に■座■○右していは峝湖辺の一■境にて土地頗る繁■居民一同モルモン宗を尊崇し市中に大伽藍有之此宗派は一夫数妻を娶り■事を免し開宗之導師ヨング、と申者は現存の人なり十六人の婦人を擁し居■由依て市中一夫一婦之家は■て無之生輩の宿し居■ホテルの主人も三婦を擁し居■趣実に未曽■■宗派にて始め此宗徒にうよるくより放逐され此地に来りて草業を開き■字を営み漸く市府をなし追々繁盛にいたり此節■盛頓より官吏て置て管轄せり各国人も■く見物に来り■程のよれ開化文明自由の權を講する共和■那の如き如此邪宗あるは疑はれき■にて■○桑港よち当地迄の途中積雪五六尺巳上の山谷を経過し当地七四方■山嶽何れも雪を頂き■得共寒威は概子■地と相適し■程して四十度寒暖表内外に有■■
○
神田亢久右エ門町和泉屋と■る酒屋本月十六日開店の由にて五十駄樽の鏡を■て施行致せしに道路に醉人多くよこたはりたる由
評者日人力車ひき等は偶々和泉屋の仁にあふて愉快を極めるに至れど妻子は暗に空腹を抱くもをかし■謂墓恭りして孑孑をに■し殺せし類ひならんか仁過れば却て禍あるとは是等ならん
○
赤坂桐畑より日枝の神社へ舟渡し本月十七日より發行二十りたり
定価一枚 百四十文
一ヶ月分 銀二十目
右前金受取■約定仕■上は日々發■次第本局より■届可申■且又遠方取次費弘望■方は本局■■引合可復下候
店開新規費出ほの引札又は諸■■■の報告其他不依何事出板望の事件は
一行一慶出板一匁■
同十日分は五匁 にて引受申■
本局 浅草■町一丁目 日報社
仝 村松町■■地東側 出張会社
資料形態
大型古資料
高さx幅(mm)
335430x485600
物理媒体/状態
額縁に納められている
()は額縁のサイズ
読み取り困難文字あり
()は額縁のサイズ
読み取り困難文字あり
制作日付
1872-02-21