古文書 土船仲間文書

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1.史料群全体の概要

 「大坂三郷河筋土船仲間文書」(以下「土船仲間文書」)は、近世大坂の土船・土船仲間に関連する文書群である。これらの史料は、2021年に文書の整理を行った時点で、「大阪市立大学付属図書館」と印刷された文書封筒の中に1点ごとに保存され、封筒の表書には各史料の表題・作成者・内容などがペン書きで記されていた。おそらく、杉本図書館の前身である学術情報総合センターができる前に、図書館の関係者によって整理されたと考えられる。ただし、史料目録(紙・データとも)は残されていなかったため、改めて中身の史料と照合しながら、封筒表書の内容を確認し、目録を作成した(目録の詳細は下記を参照)。

 「土船仲間文書」は、帳面類もいくつか確認できるが、一紙文書が大半を占める。以前の調査では296点と数えられていたが、1枚の封筒の中に複数の文書を収納したものもあり、そうした文書には枝番を付けた。枝番を含めると、文書総点数は454点である。

2.近世大坂の土船・土船仲間について

 近世大坂の土船・土船仲間については、これまで専門的な研究は行われていない。『大阪市史』第5巻に収録されている江戸時代中期に作成された『諸川船要用留』の中に、土船についての記述がある。その記述によると、近世大坂の土船には古土船・新土船・在土船の三種類があった。古土船26艘は、寛永15(1638)年に大坂の川中土御用を勤めるかわりに御極印を受けた。新土船24艘は、元禄12(1699)年に堀江新地の繁盛のため赦免された。在土船11艘は、宝永元(1704)年12月に、摂州西成郡中在家村・今在家村が大坂の銅細工鍋釜鋳物師に販売する山土を運ぶ船を願い、公認された集団である。以上三種類の土船は、それぞれの成立背景と時期は異なるものの、いずれも山土の運搬を渡世としたことが共通している。

 「土船仲間文書」には、古土船だけではなく、新土船に関する史料も含まれているが、在土船に関わる史料は含まれていない。古土船・新土船と在土船は別個の集団であった可能性が高いが、その詳細は不明である。

 

3.史料の内容

 史料の作成年代は、概ね18世紀初期から19世紀中期までである(詳細は目録を参照)。内容別にみると、以下に示したようなまとまりに分けられる。

①争論関係史料

 砂船仲間・べか車の持ち主たちなど、他の社会集団との間に起きた争論に関する史料である。近世を通して、土の運搬・所有をめぐって頻繁に争論を行い、そのたびごとに利権の所在を確認していることが注目される。

②土船仲間の約定

 土船仲間同士の間では、船所持や土の販売をめぐる対立がたびたび起こり、そのたびごとに仲間レベルで寄り合いを行い、仲間のあり方を規定する規則が作成されている。

③「五ヶ船」の廻状

 近世大坂の土船・屋形船・砂船・石船・剣先船の5つの川船集団は「五ヶ船」というまとまりを形成していたようである。本史料のなかには、土船年寄が「五ヶ船」の年番を勤めた時期の廻状が残されている。

④土船を買得・譲渡する際の証文類

 土船の売買・譲渡の状況や、所有者が別の者に船を貸し出す「借船」の実態などがうかがえる。

⑤「山土仲買」の印形帳

 土船仲間は、18世紀中期に砂屋や陸荷土屋の一部を「山土仲買」として編成し、土船仲間を通じて彼らの店へ土を売るようになった。本史料群には、土船仲間が主導するかたちで作成された仲買らの印形帳として、明和5(1768)年、文化5(1808)年、天保4(1833)年のものなどが確認できる。

⑥土船年寄宛の書状

 書状の宛先や争論関係史料の差出人に土船仲間の代表である土船年寄が含まれていることを踏まえると、「土船仲間文書」の多くはもともと土船年寄のもとで保存されていた文書であったと推測できる。これらの史料は土船年寄の間で継承され、今日に至っていると考えられる。

 

4.関連する史料

 本史料群のほかに、近世大坂の土船・土船仲間に関する史料として、大阪府立中之島図書館所蔵の土船仲間関連史料がある(商業・諸職関係文書213〔土船仲間記録〕27点)。これらの史料は全て帳面類であり、「元土船名前帳」「新土船持名前帳」「土積越船三番組廿五艘船持判形帳」など表題から、そのほとんどが土船仲間の構成員を記録した帳面であることがわかる。「土船仲間文書」には他の社会集団との関係や仲間内部の取締りなどを示す史料が多く含まれているが、土船仲間の構成員のあり方を示す史料は少ない。〔土船仲間記録〕と「土船仲間文書」の関係については不明であるが、二つの史料群をクロスしながら分析することによって、より立体的な土船仲間の実態が復元できると考えられる。

(文責:呉 偉華、エストラーダ・リース)