解題:

 二代目松林伯圓の弟子であった講談師、悟道軒圓玉(本名:浪上義三郎)の昭和14年の日記。亡くなる前年である。帙入り和綴じで全四冊、帙の内側には、圓玉の書生兼筆記者を務めた後、大衆小説作家として大成した川口松太郎による「人形に羽織を着せる夜寒かな」の句と署名がある。川口松太郎は書生時代を回想して短編小説「風流悟道軒」を書いたが、それを収載した作品集『風流悟道軒』(昭和27年5月 桃源社)の「あとがき」で圓玉の晩年について、「晩年は老妻に死なれ、一粒種の倅四郎にも先き立たれ、浅草の三筋町に淋しい余生を送ったが、親孝行をする積りで幾分の親切を尽した。嬉しかったと見え、晩年は殆ど私を頼り、臨終の遺言もいい残した。」と書いている。

 見返しには「現住所 浅草区栄久町卅七」とし、家屋内の部屋数「階上 四畳半に長四畳/階下 六畳 長四畳」や家賃、「主人」(圓玉)七十四才、「令嬢」(養女の美代子)二十三才、という家族構成が書かれている。

 𠮷沢英明氏の著書『二代松林伯圓年譜稿』(平成九年 眠牛舎)は、明治38年2月の伯圓の死後も、伯圓関連の事績が書き連ねられており、昭和15年1月の圓玉の死をもって結ばれている。日記は口述筆記されたものと考えられ、そこからさらに清書されたものである可能性もあるが、筆記者や内容を含めた調査研究は今後すすめていく予定である。

 𠮷沢氏は平成5年8月の諸芸懇話会八月例会の場で本書を披露し、そのことは「諸芸懇話会会報」第138号(平成5年9月)で報告されている。さらに「諸芸懇話会会報」第142・143号(平成6年1月・2月)に、「番外「悟道軒日記帳」抄録(上)(下)」を分載して、日記の抄出翻刻をし、ところどころに注釈をつけている。(上)は1~6月、(下)は7~12月分からの抄録である。

 また𠮷沢氏が高橋圭一氏に宛てた私信(平成17年4月18日消印)に、この日記を中野書店から購入したことなどが書かれている(高橋氏ご教示)。

〔奥野久美子〕