
1.鍵屋茂兵衛文書の概要
鍵屋茂兵衛文書は、大阪公立大学杉本図書館(旧学術情報総合センター)8階貴重書庫に保管されている「近世史資料」のうちの一つである。学術情報総合センターの前身である大阪市立大学附属図書館が古書店より購入した史料で、もともとは大型の段ボール箱に史料がまとめて詰められた状態であったが、現在は目録作成が完了し、1点ずつ中性紙の封筒に入れて保管されている。史料総数は3850点である。目録と史料画像は、杉本図書館電子コレクションのOCU古文書データベースで公開されている。
2.史料の内容と研究の進展状況
鍵屋茂兵衛家は、大坂の道修町一丁目の家持町人であり、薬の原料となる薬種の取引にたずさわる、薬種中買を生業とする商人であった。また、享保期(1720年頃)から代々継続して、薬種中買仲間という株仲間に所属していた。鍵屋茂兵衛文書は、この鍵屋茂兵衛家の家内で作成・保管されていた史料とみられ、茂兵衛家自体に関わる史料が多いが、それとともに、茂兵衛家を本家とする鍵屋の分家・別家に関することなど、イエ関係の史料も多く残っている。
この史料群を使ったおもな分析成果としては、渡辺祥子『近世大坂薬種の取引構造と社会集団』(清文堂、2006年)がある。以下ではその成果に基づきつつ、鍵屋茂兵衛文書の分析を通じて明らかにできることを、いくつか具体的に示しておきたい。
①家屋敷相続に関わる証文や、祝儀の配り方を記した留め書きなどを分析すると、寛文期(1670年頃)の初代茂兵衛から、明治初期(1880年頃)の9代まで、鍵屋茂兵衛家の代々の当主や家族の家系図を作成することができる。また、鍵屋茂兵衛家の家屋敷の所持状況も知ることができる。ただし、史料の残り方とも関わって、詳細に分かる時期は限られている。4代茂兵衛が当主であった宝暦期(1760年頃)あたりの史料が多く残されているようである。
②茂兵衛家の宗旨改下書や、宗旨手形などを分析すると、鍵屋茂兵衛家の奉公人の名前や年齢の情報が、断片的に分かる。
③本家や別家の家の存続に関する相談書などを分析すると、鍵屋茂兵衛家の分家や別家の強固なつながりの様相がうかがえる。これに関しても、史料が多く残っていて詳細に分かるのは、4代茂兵衛あたりの時期である。ただし、イエ内部で何か問題が起こった時に作成された申合せなどは、特に重要な書類として保管されていたようで、他のいろいろな時期のものも残されている。
このような分析から、鍵屋茂兵衛家が大店の町人として道修町一丁目に店を構え、分家や別家と協力しあいながら、イエを存続させていた様相を、具体的に明らかにすることができる。
またそれと同時に、鍵屋茂兵衛家、および分家や別家の多くは、薬種中買仲間の一員である。薬種中買仲間に関しては、大坂の道修町一~三丁目に集住していた薬種中買仲間(株仲間)の会所で作成・保管されていた史料として、道修町史料保存会所蔵「道修町文書」があり、史料総数は近世文書約3千点、近代文書約3万点に及ぶ。これら薬種中買仲間の史料も同時に参照することで、彼らが所属する株仲間に関係する問題についても、視点を広げて分析することが可能である。いくつか具体的に示すと、次のような点を明らかにすることができる。
・鍵屋茂兵衛や分家・別家たちが、いつ薬種中買株を取得しているかが分かる。
・彼らが薬種中買仲間の中で、どのような役職を勤めているかが分かる。
・彼らが薬種中買の経営上の保証組合を、どのように組んでいるかが分かる。
これらの分析を通じて、イエの問題と、その構成員の多くが所属する株仲間の問題とを複合的に見わたすことができ、そこに生じている矛盾などを具体的に明らかにすることができるのである。
3.史料が持つ可能性
鍵屋茂兵衛たちが所属していた薬種中買仲間は、道修町一~三丁目に集住していたのだが、このうち道修町三丁目については、町会所の史料である「北組道修町三丁目文書」(大阪公立大学杉本図書館所蔵)および「道修町三丁目文書」(大阪府立中之島図書館蔵、約1万5千点)も現存している。この史料群の分析も組み合わせることができれば、イエ・株仲間・町という、複数の社会集団の動向が立体的に明らかにできるだろう。
このように鍵屋茂兵衛文書は、詳しく分析することで、大坂の都市社会や商業、流通、イエ制度など、様々な問題に関わる論点を引きだすことが可能な史料である。今回紹介した論点以外にも、今後の分析によって新しいことが明らかにできる可能性は大いにあると考えられる。
(渡辺祥子)
★リンク:OCU古文書データベース「鍵屋茂兵衛家文書」
OCU 古文書データベース簡易検索 (osaka-cu.ac.jp)
本データベースの説明には「鍵屋文書の史料全点(3499文書)を公開している」とあるが、史料の総数は上記のとおり3850点である。また、史料番号387-25までは史料ごとの目録と画像が公開されているが、388-0から414-23までの380点は目録・画像とも抜けている。
なお、鍵屋茂兵衛文書の史料番号は、史料整理の際、もともと史料が収納されていた順に番号をつけ、包紙にくるまれた書状などは包紙と中身の書状を別々にカウントし、1-1、1-2のように枝番をつけている。データベースの史料写真は、この番号順に掲載されており、各史料の詳細画面(目録)で確認できる「整理番号」がそれに相当する。