解説:

 桃川実講演の講談速記本。速記者名無し。大盛堂書店刊。縦16.5㎝横9㎝、199頁の小型本。初版は明治42年(1909)3月刊行で、本書は明治43年(1910)7月刊の第5版である。内題は「蜀山人」のみであるが、内容としては、「蜀山人」「西行法師」「蜀山人の扇」の三項に分かれており、それぞれ(一)~(三)の三章を収めている。「蜀山人の扇」については、これより先に明治35年(1902)刊の講談速記本『柳田堪忍袋』(桃川実講演、速記社社員速記、三芳堂書店刊)に載せられており、この中には、本作品「蜀山人」の項に出てくる「浅草参り」や「屁の中の月」等のエピソードも入れられている。また、𠮷沢英明氏は『講談明治速記本集覧 附落語・浪花節』(私家版、平成7年4月)で、本作品について「蜀山人ならびに西行法師の初出は〈毎日新聞〉附録-明治37・2~明治37・8-の「名人競」」と記している。

 桃川実(1846-1905)は、弘化3年(1846)江戸下谷に生まれた。講談師である伯父の初代桃川如燕に付き、国猫、燕寿、燕朝等を名告り、三代目桃川燕林を経て、明治32年(1899)に桃川実と改名。『那須与市』『赤穂義士四十七士伝』『岩見武勇伝』など数多くの講談速記本を残している。また、俳諧を良くし、芳雪庵と号した。

表紙
裏表紙
本文
尾題
奥付

 本作品の「蜀山人」「蜀山人の扇」に登場する蜀山人とは、江戸時代の狂歌作者として名高い大田南畝のことである。詳しくは、真竜斎貞水講演『蜀山人』の解説を参照されたい。

 本作品に載せられた蜀山人に関する逸話は、他の蜀山人伝説の読み物や講談本に共通するものが多い。この桃川講演本の特徴としては、それぞれのエピソードが簡潔にまとめられていることで、テンポ良く話が進んでいく。また、特に単純でわかりやすく笑える話、狂歌を選んでいる印象がある。そして、画師の谷文晁、歌舞伎役者の尾上菊五郎、力士の谷風など、当時の人にも知られた江戸時代の著名人が出てくる逸話を積極的に取り入れることによって、より親しみやすさを引き出している。

 ここで、𠮷沢コレクションにある真竜斎貞水講演『蜀山人』と比較してみると、同じエピソードがいくつも見られることがわかる。例えば、蜀山人伝説の中でも有名な「盆燈籠」を見てみよう。蜀山人宅に以前仕えていた下僕が、盆燈籠を仕入れて売ろうとしたが、一向に売れず困っていた。そこで、蜀山人が買い入れた燈籠をすべて持ってこいと言い、その一つ一つに狂句狂歌を書いてやったところ、蜀山先生の盆燈籠ということで飛ぶように売れた、という話である。これは事実談であることが南畝の門人の随筆からわかっており、この逸話は為永春水の随筆『閑窓瑣談(かんそうさだん)』(天保12年)で紹介されたことによって、広く知られるようになった。 真竜斎貞水講演『蜀山人』では第六席にこの話が載せられているが、ここでは蜀山人が「釈迦阿弥陀地蔵閻魔と種類(しな)あれど おなじ心の仏なりけり」という狂歌を書いたとある。これは、『閑窓瑣談』や他の蜀山人俗伝物にはない歌で、貞水の創作とみられる。一方、桃川実講演『蜀山人』では、「胸に浮みました狂歌をチョイ/\一首(づゝ)書きました」とあるのみで、具体的な歌は載せられていない。また、「うら木綿」として知られるエピソードは、蜀山人が呉服屋に着物の裏地木綿を買いに出かけたが、値段が高いのを見て一首詠むというものだが、真竜斎貞水講演『蜀山人』では、蜀山人が旅籠町にある大丸呉服店に出かけ、一反の値段が一歩(いちぶ)と言われ、「一歩とは余りあこぎのうらもめん あみのようだぞ()つとひけ/\ 」と詠んだとしている。一方、桃川実講演『蜀山人』では、呉服屋の名前は大和屋とあり、値段は一朱、詠んだ狂歌は「一朱とは余り阿漕のうら木綿 網のようだぞモツと引け/\」となっている。肥田晧三氏(「蜀山人伝説を追う(7)」(『大田南畝全集』月報8・岩波書店)によると、蜀山俗伝物に散見されるこの逸話は、木綿を一朱とするものと(a系)、一歩(いちぶ)())とするものの(b系)大きく二系統に分かれ、買い物に行った店は、a系が近所の呉服店、b系は大丸呉服店となっているという。桃川講演本はa系にあたり、貞水講演本はb系にあたるが、桃川本は、呉服店を「大和屋」とし、木綿を「真岡木綿」とするなど、他のa系作品より具体的な描写が見られる。このように、貞水本と桃川本を比べてみると、他のエピソードに関しても物語の顛末、大筋としてはほとんど変わりないのであるが、細かい部分では違いが多くあり、どれも完全には一致しない。このことはこの二作品に限ったことではなく、肥田氏が「それぞれの本によって同じでないところが蜀山伝説の特徴の一つかも知れぬ」(「蜀山人伝説を追う(5)」『大田南畝全集』月報6・岩波書店)と述べているように、明治後期から出された数々の蜀山俗伝物を見ると、どれも微細な部分で内容に違いがある。蜀山人の伝説は、ある本に書かれたことを後の人がそのまま書き写していくような直線的な伝承ではなく、伝え聞いた人が付け加え、書き換え、派生させていくような形で枝葉を広げながら伝播していったのである。

(本多朱里)